序
器物も百年を經ば恠を爲すといふに、人の百歳まで生きて變化するをいまだ聞かず。巷に百物語てふものあり。語り盡くさば妖しきものの訪れしといふ。以爲へらく、たゞ人のみが恙無く百年を過ごせしか。徐福に請ひて仙藥を服せども、千載を經れど徒人は徒人のまゝならざらむ。鬼神のあさましきとは思へども、人の身の仙力なきを憂ふ。たとひ佛法に見放されけむとも、いま茲に百物語の仙藥を飮まむ。訪れしものの神か鬼か知らず、仙藥の甘きとも苦きとも知らず。願ふらくは、いにしへの天文博士、もろこしの赤松子、泰西の聖人のごとき怪力の訪れむ。雀海中に入りて蛤となり、腐草化して螢となる。などてか人の變化せざらんや。先人にならひて一念を起こし、つたなくも紙筆を汚さむと思ひしなり。石燕翁、百鬼夜行を遊歩して怪状を圖畫し、春泉子、桃山人の聚めし百物語を怪に畫きぬ。予は巷間の茶話、万巻の書より怪を探り妖を聚め、茲に今昔百物語拾遺と題す。先人の刈りし田の落穂を拾ひて嬰児の戯れと爲すに似たるがゆゑなり。
平成庚寅載陽の日 螢惑庵主人 天沢おきな記す
]]>月きよらかなる雪のよるに、七郎とまうすもの、いへにかへりけるに、松のかげより、からだは一つにてかしらの七つある荷牛《ことひうし》にしづくらおきて、しろき糸もてぬひたる甲を着たる侍の、背にしろきはたをさしたるあらはれたり。かゝる鬼どものをどりあるきけるを、七郎けしからずおぼえければ、「いざ名のらせたまへ」と問へば、かの鬼かや/\とうちわらひて、「なれは大森彦七がすゑなるか。おのれは汝がとほつおやに太刀をうばはれし楠木正成なり」とこたへけり。これ西山物語に見えたり。
筑前遠賀《をんが》の海べりにて、夜みちをあるきけるに、にはかに行く先かべになりて、いづこにも向かふことあたはざりし。これを塗りかべといふ。おそれられし。棒を以て下をはらへばかき消え、いたづらに上をたゝくのみ。
下をはらふとはすなわち身をかゞむるにひとしき。日ごろすこやかなる人の大病の癒えてのち、精いまだ満たざりけるに夜あるきして、立ちくらみに襲はれしに、つねならぬ目まひをくゎいとおぼえしか。
水木翁の曰へる、戦場にてこのくゎいに逢ひしも、いくさをかさねて力のよわまりいたつきたるがゆゑなりか。
樹のうつほより糸を繰るおとすれど、はなれても変わらずしてきこゆるなり。これ糸くりといひて、むじなのしわざとなむいひける。谷にては小豆をあらふおとのすること、譚海に見えたり。
山の端のささらえをとこ天の原門わたるひかりみらしくよしも
萬葉集 巻六・983
あかねずみ(赤鼠)
蜀山人が一話一言に曰く。延寶年間、奥州津軽の山頂より海原を見わたせば、おびたゞしく鰯のあつまりしやうに見えたり。漁船をいだして網をひきあぐれば、下腹の白く頭と脊通りは赤き鼠おびたゞしく網にかゝりしを、濱地へひきあげうちころしたり。其の鼠の殘りどもこと\゛/く陸へあがり、或ひは苗代、竹の根を喰ひ、或ひは在家へ入りて五穀をそこばくつひやす事かぎりなし。山中へ入りたる鼠ども、毒草こそありつらめ、一所に五百三百づゝかさなりて死にてありしとかや。
『一話一言』(『日本随筆大成』別巻6)
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世に狐火といふ物あり。巷説に曰ふ。狐の吐く息火となりて燃ゆる、此なり。
人の老いて齒の抜け目の弱りたるが如く、老狐の火の衰へたるがゆゑに、燈火を求めて襲ひしか。
火取魔のことは柳田翁の妖怪談義に見えたり。詳らかにせず。加賀山中に現れし怪物の、提燈の火を細くしたるなり。惡しき狐の蝋燭の火を消しゝ話は諸處にあり。
世の中に狐火というものがある。一説によると、狐の吐く息が火となって燃えるのが、この狐火というものである。
人が年老いて歯が抜け目が悪くなるように、狐も年老いて火が弱まるのか、そのために火を求めて燈火を襲うのだろうか。
火取魔のことは柳田國男の『妖怪談義』に見える。詳細不明。加賀山中に現れた怪物が、提灯の火をか細くしたということである。悪さをする狐が蝋燭の火を消したという話は全国いたるところにある。
「半日閑話」(『日本随筆大成』第一期第8巻)
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【さ行】
細好男《ささらえをとこ》
【た行】
瀧與ヶ妖姥
【な行】
七頭牛《ななこべうし》
塗壁《ぬりかべ》
【は行】
火取魔